前者後者コミュニテイ

④情報処理の違い

目の前に「りんご」があります。
この「りんご」の情報は、頭の中にどう入るでしょうか。

 

前者は、まず目の前の「そのりんご」が、「リンゴ」という一般概念に変換され、
それが例えば「食べ物」「果物」といった概念フォルダに自動仕分けされます。

頭の中にあらかじめ、一般概念を仕分ける無数のフォルダや階層のようなものがあるのです。

 

後者は、「そのりんご」は「そのりんご」のままで脳内に放り込まれます。
その個別具体情報の側に、「りんご」という名称や、「赤い」という特徴や、「✕✕さんにもらった」という文脈や、「おいしそう」という印象や、それが置いてあったシチュエーションなどが同時タグ付けされます。

頭の中では、そういう個別具体情報が宇宙や水中のような場所にそのまま無限に散っているのです。
とはいえ近しい情報はなんとなく集まっているので、「あの辺の集団がりんごと呼ばれている」というように概念が形成されていきます。

 

 

そのため、前者にとっては どの「りんご」も常に「リンゴ」ですが、後者にとって「あのりんご」と「そのりんご」は同じではないように感じられるのです。
(とはいえ、後者は興味のあるものとないものに対する態度が甚だしく違うので、どうでもいい情報にはあれとそれの違いはなく「なんとなく猫」のようなざっくりとした一般印象しか持たなかったりもしますが)

 

参照記事;
春夜さん『前者による「前者と後者の頭のなか」のイメージ』
学長『【保存版2】前者後者って?(機能編)

 

前者の情報処理の特徴

前者の頭の中には、辞書やウィキぺティアやフォルダや引き出しやマインドマップのようなものがあるようです。
とにかく「ラベリングされた一般概念」が仕分け整理され、階層的に頭の中に存在しているのです。

これが前者の思考処理の速さや、情報整理の明確さにつながっています。

認知した情報は、次々に一般概念化して、自動的にそこに仕分けされていきます。
あるいは「これはあそこのあれ」といったような脳内フォルダとの対応関係を考えます。

情報を取り出す時もフォルダを順番に追うようなもので、対象を「思い出せない」ことはあっても、「迷子」になることは基本的にありません。抽出と並べ替え、それが前者の得意処理です。

 

逆に前者は目の前のものを、名づけずにそのまま認知することが苦手です。
「よくわからないもの」は「よくわからないもの」としてフォルダに放り込まれます。

 

いつの間にどういう基準でそういう風に仕分けたのか、なぜ入った情報が勝手にそう仕分けられるのかは、完全に自動なので実は前者自身にもわかりません(AIの機械学習のようなものかもしれません)。
その分け方に必ずしも普遍性があるわけではないのですが、しかし前者同士ではこれは大体共通しているらしく、前者同士だと話が通じます。

 

また、そんな前者は、実は本当に「ふつう」がわかります。

外部情報がWi-Fiのように入ってくる前者は、概念や条件ごとの外部データが脳内で無数に集められており、その中での「平均値」「最大公約数」みたいなものが、常に自動割り出しされているのです。

そうやって、その場その場の条件の組み合わせに対しての「ふつう」を常に基準にしながら動いています。(さらにそれを前者同士で共有することもできます)

 

説明や概念共有に強く、処理が速い。致命的に「外さない」。
そして何度でも同じことが再現できるのが前者の強みです。

ただし代償として、合理的な発想法に思考が規定されている、ともいえます。
カテゴリーを超えて情報を扱いたい時には、外出しようの「思考フィールド」のようなものも持っているらしく、前者のひらめきはそこで起きることが多いようです。

 

<前者による前者向けの説明はこちら>(ユニバ2期生 八屋虎子)
https://ameblo.jp/thisisapen0000/entry-12421536801.html

 

後者の情報整理の特徴

後者の脳内では個別具体情報が3次元的(4次元的?)に散っているイメージです。

近い情報はなんとなく群れのようなものをつくっています。
それがひとつの「集合」=概念を形成します。

 

何をもって「近い」と考えるかは、その後者の主観的な印象や興味関心にも大きく左右されるため、
前者同士と違い、後者の場合は後者同士でも共通しないことが多いです(想像はできますが)。

また、そんな後者から見ると、前者のカテゴリー分けはそうなる必然性がわからず、「なぜそう分けたか」「なぜそこで分けようと思ったのか」が理解できないことも多いのです。

 

刺激が入ると、連想ゲームのように情報と情報が紐ついて関連性ができます。
自動で走りますが、手動で意識することも可能です。

それが繰り返されるとパターンになります。

 


「慣れているパターン」は得意ですし安心感がありますが、「新しいパターン」はかなり頑張って(=意識づけと反復で)つくり出す必要があります。これはなかなか大変なので、それが既存のパターンへの固執偏狭な思いこみといった、「ワンパターン」に後者がはまる原因でもあります。

 

紐と紐は干渉し合いませんので、組み合わせは幾らでも自由です。
逆にカテゴリー分けは「邪魔な壁」みたいなもので、頭の中の自由度が阻害されてストレスになります。

情報が勝手に自由遊泳し、関連性の発生もランダムに起こっているので、偶発的な閃きはたびたび起きます。ただしそれは偶発的ですし「自分1人の脳内宇宙で起きている独自システムの産物」なので、人に説明する際は、翻訳作業が必要です。

体系化や言語化、プロセスを語ったりすることのハードルが高いのです。
そのため、ステップを踏んだ訓練が必要です。

 

そして後者のパターン形成は、脳内にあるもので「ゼロから作り上げている創作活動」のようなものなので、「客観的に見て当たり前」のことでも、言われないと「発想すらない」(パターンが思いつかない)ことが多いです。

だから後者には、たとえ厳しい意見でも「言ってもらう」「教えてもらう」ということがとても大事ですし、後者自身には「他人を観察する」「真似る」ということが必須、かつ有効な学習法になります。

 

 

また後者の脳内タイプは、更に大きな2系列、細かくは5タイプに分かれます
→後者の脳内タイプは5パターン

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