前者後者コミュニテイ

大いなる誤解(後者に意図はないし、前者は好きでやっているわけではない)

2019/06/07

ちわー、地味に更新しています。

学長のむかえです。

 

柱の①視点の差にも書いていることですが

後者って「意図」がないほうがデフォルト(初期状態)です。

 

もちろんしてる時は/人はいますけどね。

 

なにせ常に自分が起点の世界観

「自分→何か」という3Dな一方向視点ですからね。

 

 

言動も基本的に「自分 →→」だったり「自分→何か」であって、

 

起点(動機、感情)があるのみだったり

気持ちや思っていることをただ伝えているだけで

ただの素だしストレートなの。

 

無神経だったり不注意だったりはするかもしれないけど

別に悪意も意図もない。

そもそもナチュラルには他人視点がないしね( ̄▽ ̄)

 

われわれは裸の世界観なんだよね。

 

 

 

 

さて、前者が後者にしているこの勘違いと同じくらい

後者が前者に対して勘違いしていることがありまして。

 

それは前者が「好きでやっている」

と思っている、てことです。

 

 

必ずしも必要じゃないこと

自分がしなくていいことをやっている人を見たら

 

それには自分自身の動機がある

と感じるのが後者のデフォルトです。

 

 

それが100%じゃないにしてもね。

 

本当にやりたくてやっているのかもしれないし

美意識かもしれないし、

何か実験していたり、修行しているのかもしれない。

 

それが何とはわからなくても

そういう部分があってやっている、と思っている。

 

 

前者にとって「意図がない行動」が想像できないのと同じくらい

後者にとって「(主観の)動機がない行動」は意味がわかりません。

 

 

というか、たとえなくても

行動に自分自身の動機を見出そうとするのが後者ですし、

それができることが人格的な成長でもあると感じてもいます。

 

 

だから、前者さんに対してとてもひどいセリフなのはわかっているのですが

「勝手にやっているだけでしょ」

「いやならやらなきゃいいじゃん」という話になるのです。

 

 

誤解されてもいるし、

前者の感覚が後者には全くピンときていません。

 

 

 

 

後者のみなさま

 

前者さんて、もうマシンのように

「最大多数のための最大幸福への奉仕」が自動セットされていて

 

やりたいとかやりたくないとか、嫌とか嫌じゃないとか

そんなものなしに率先してやってしまうのです。

「そういうもの」としてやっているのです。「みんな」のためにです。

 

・・・・そういうプログラムが搭載されていると思ってください。

 

 

でもそこには負荷もかかっているし、

自分の気持やしたいことも大小犠牲になっていたりするし

喜んでもらいたい、みんなに快適でいてほしい、と思いだって乗っている。

 

だから「勝手にやっただけでしょ」なんて言葉は

ナイフで刺されるような一言だったりする。

 

 

 

参考:はやちゃん(前者/ユニバ2期卒業生)

前者って、そんなんじゃない。

 

前者は基本的に「自分の幸せ」よりも
「その場全体の幸せ」を願って行動します。

大仰に言ってしまえば「自己犠牲に美徳すら感じる生き物。」
といっても差し支えないでしょう。
 

根底にあるのはその場の平和、調和、幸せです。

あの人に辛い思いをさせるくらいなら、、、
みんなに嫌な思いをさせるくらいなら、、、
少しの我慢で平和が保たれるのならば、、、私がやります。

それがいつの間にか「当たり前」の様に
自分だけの仕事になり、

悲しい思いをしがちです。

 

 

字面だけ見て「わたしもそうです!」

て思った後者さんと、
前者の感覚をもう少し知りたい後者さんは

 

こちらも参考にしてね☆

(むかえの記事)

後者は「好きでやっている」と思っている

 

 

 

 

 

後者側からすると、

じゃあどないせいっちゅうねんという話で

なかなか難しいんですが

 

理解はしてあげてほしいのっす。

 

 

そして受け取ったら「ありがとう」と言ってもらえるだけで前者はとても報われます。

そこにかかっている気持ちを認めてもらえるだけでもぜんぜん違う。

 

そして実は後者が自分で気づいている以上に

この「前者の見えない加護」ってめっちゃあるからね。

 

 

 

でもやっぱ、

 

自分がいらいらをつのらせてまで先回りして奉仕する

報われない状態ってやっぱり健全だとは思えなくて

者さん自身が自分を大事にするところからしか始まらないよなあとは思います。

 

 

 

でもって、

周りが「幸福じゃない」「かわいそう」に見えるかもしれないけど、

罪悪感を刺激されるかもしれないけど、

 

単に「そういう顔」なのかもしれませんよ?

その時の瞬間の気持がただ素直に出ただけで5分後には忘れているかもですよ?

なんだかんだ意外とタフで平気で、なんとかするしなんとかなる、んじゃないかなあ?

 

・・・・・て相手を信じてみてほしいんですよね。

 

 

 

幸福の必要条件がそろってないから

「なんとかしてあげなきゃ(奉仕)」ではなく

 

既に相手は幸福だけど、このほうがいいから

プラスαで「やってあげよう(サービス)」

 

・・・・て意識があるだけで

 

 

 

全然違うんじゃないかなあ( ̄▽ ̄*)

 

 

 

むかえ

この記事を書いた人

むかえ

後者。東京大学卒→大企業サラリーマン歴8年の後、個人セラピストとして独立。 (心屋認定カウンセラー、量子場師) 前者後者論の第一人者であり、「人間」「認知」「意識・心理」に関するあくなき研究者。前者後者論は歴史に残る発見だと思っている。

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